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大阪地方裁判所 昭和59年(わ)2924号 判決 1985年7月29日

被告人 平吉彦

昭一六・八・一七生 無職(元会社員)

主文

被告人を懲役三年に処する。

未決勾留日数中三三〇日を右刑に算入する。

この裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

(犯行に至る経緯)

被告人は、昭和三五年、大阪府立の工業高校機械科を卒業後、直ちに株式会社小松製作所に入社し、中堅幹部養成のため設けられた小松工業専門学校を経て、昭和四〇年ころから生産技術部門に籍を置き、昭和四六年には、上司の紹介で妻春子と結婚し、長女夏子(昭和四七年八月一四日生)、長男秋男を儲けたが、夏子の発育に疑問をもち、一歳七ヵ月時に受診したところ、精神発達遅滞(自閉傾向)との診断を受け、以来専門的な治療・教育を施しつつも、妻と共に同児の将来を案じ、退職後は夫婦で夏子の面倒を見ていこうなどと話し合つていた。

他方、被告人は、職場での仕事振りが認められ、昭和五八年一一月、大阪工場生産技術部第二課副課長に昇進し、職務に精励してきたが、昭和五九年二月ころから繁忙を極め、帰宅時間がおそくなつていたところ、三月ころからは、自己の交渉力、判断力等管理職としての能力に不安を覚えるようになるとともに、深夜目覚めるようになり、右不安や仕事の手順等を考えて眠れない状態が続いたため、同月末から精神安定剤を服用し、また、四月中旬ころから妻と寝室を別にするなどして熟睡できる様努力していたが、その甲斐はなかつた。

(罪となるべき事実)

被告人は、昭和五九年六月一三日午後九時すぎころ、大阪府枚方市渚東町二〇番一九号の当時の自宅に会社から帰り、夕食後の同一〇時ころ、二階西側六畳間で眠りに就いたが、翌一四日午前一時ころ、いつもの様に目が覚め眠れないままに、いつもの如く、自己の管理職としての能力や将来に対する不安に思いを巡らせるうち、強い自信喪失感におそわれて、次第に前途を悲観して落ち込み、思考が進行せぬうちに、ふといつそ死んでしまつた方が如何に楽だろうかと自殺を決意したが、ここにおいて自殺後の家族のあり方を思うにつけ、自閉症の夏子(当時一一歳)が居たのでは、妻春子の負担が重くなつて家庭の維持が大変だろうし、夏子自身の将来もおそらく不幸であろうとの思いから、いわゆる道連れに同女を殺害しておこうと決意し、妻春子宛に遺書(押収番号略、以下同じ)を書いた後、まず自己の左手首をカツターナイフで切りつけて自殺を図つたうえ、同二時三〇分ころ、二階東側六畳間において、就寝中の夏子の首に布製バンドを巻きつけて絞めつけ、よつて、即時、その場において、同児をして頸部絞搾に基づく窒息により死亡させ、もつて殺害したものである。

(証拠の標目)(略)

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法一九九条に該当するので、所定刑中有期懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処することとし、同法二一条を適用して未決勾留日数中三三〇日を右刑に算入し、情状により同法二五条一項を適用してこの裁判の確定した日から四年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文を適用してその全部を被告人に負担させることとする。

(弁護人の主張に対する判断)

一  弁護人は、本件犯行当時被告人は心神喪失ないし高度の心神耗弱の状態にあつた旨主張しているので、被告人の責任能力につき検討を加える。

二  右主張に副う証拠として、鑑定人中野良平作成の精神鑑定書、同補足(以下「鑑定書」という。)が存在し、右鑑定書には、要旨次のような記載がある。すなわち、被告人は、うつ病の病前性格とみられる執着性格ないしメランコリー型性格を有しているものと考えられるところ、昭和五八年一一月に副課長に抜擢されたものの、次第に自分の能力に自信を失ない、昭和五九年三月ころからうつ状態に陥つた。これは、いわゆる性格・状況反応型うつ病に属するものである。そして、本件犯行は、抑うつ激昂ないし激越発作によるものとみられ、このことは、当時被告人に意識混濁が存したことからも証明されるところであり、しかして、本件犯行時被告人は心神喪失の状態にあつた、というものである。

三  前掲関係各証拠並びに証人松尾章司の当公判廷における供述及び松尾章司の司法警察員に対する供述調書によれば、被告人が、几帳面で責任感が強く仕事熱心であるといつた性格を有しており、副課長昇進後の昭和五九年三月下旬ころから、本件犯行に至るまでうつ状態に陥つていたことが認められ、鑑定書の判断は、その限りにおいて是認し得る。しかしながら、当裁判所は、鑑定書の結論を採用せず、被告人は犯行当時心神喪失及び心神耗弱いずれの状況にもなかつたと判断するので、以下その理由を略記する。

1  まず、関係各証拠によれば、被告人がうつ状態に陥つた状況因は、判示の如く主として副課長昇進を契機とした多忙にあることは明らかであり、うつの程度も、焦燥感・不安感に襲われるといつた類のもので、軽い思考停止があつても、日常の精神・身体活動には殆ど影響をおよぼしておらず、犯行前夜も通常の勤務を終え帰宅後普通に夕食を摂り家族に特段の変化・異常を感じさせていなかつたことに加え、自殺を企図してはいるものの、本件犯行の動機は、隣室(二階北側四畳半間)に長男が、階段踊場を隔てた隣室に夏子が、それぞれ眠つているにもかかわらず、判示認定のとおり、自己亡きあとの妻の負担を軽減せんがために、その負担の原因となるべき者を自閉症の夏子となし、同女のみをことさら選択して殺害することを決意したもので、それ自体、合理的、論理的思惟に基く了解可能なものであるのみならず、被告人自身夏子が自閉症であることで悩んでいたものの、いまだ殺害しようとまで考えたことがなかつたのに、捜査官に供述した如く(被告人の司法警察員に対する昭和五九年六月二〇日付供述調書<一〇丁のもの>)、何らかの理由で自殺をするような事態になつていたとすれば、同女を道連れに殺していたと思うという様に、本件犯行は必ずしも被告人の平素の人格から無縁のものではないと認められること、自殺及び犯行を決意してからの行動についてみても、自殺の手段として用いる判示カツターナイフを階下に取りに降りるに際し、一階で就寝中の妻に気付かれぬよう足音を忍ばせ、また、遺書を書くにあたり、隣室の子供達の目を覚まさない様にわざわざ襖を閉めるなど、周囲に十分配慮した行動を取つていて、日常的な判断・見当識を十分具えていたとみられること、更に、判示の遺書とみられるメモには、自己の性格と職場への不適応に関する心情・苦悩が簡潔に記載され、また、妻春子に対する詫びと夏子を道連れにする旨の記載が存在していて、思考・判断に大幅な乱れがみられないこと、犯行を的確・着実に遂行し目的達成に対する積極的意欲が充実していること、犯行前の以上の行為は勿論、犯行自体についても、特に興奮が伴つていると窺えないこと、本件犯行後妻に発見されたとき、「俺が夏子を殺してしまつた。俺もこのまま死なしてくれ、それが一番いいんや。お母さんと秋男やつたら二人で生きていけるから。」と訴え、更に同女が一一〇番通報しようとするのを妨害したうえ「死なせてくれ、生き恥をさらすのか」などと発言していて、自己の行なつた犯罪及び、それが社会的に如何なる意味をもつものであるか、更に生き残つたときに蒙る批難の大きさ等を十分正当に認識していたこと、以上の各場合を通じ、被告人は、犯行後の行動の一部を除き、記憶を保ち、これらについて具体的に詳細な供述をなしていることを、それぞれ認めることができる。

2  しかして、証人中野良平の当公判廷における供述によれば、激越発作にいう「発作」とは、自己の意思によつては制禦できないということすなわち、衝動に対する歯止めがきかなくなる状態であるというのであるが、右1認定の事情は、被告人が、自己の平素の人格と無縁でない意思活動によつて生じた犯行動機に従つて行動し、しかもその行為の社会的意味さえ十分理解して、見当識も確かに興奮状態下になく行動していたことを示しているものであるから、これらは、被告人が本件犯行時、発作状態に至つていなかつたことの証左とみるべきものである。また証人中野の右供述は、前記発作の根拠として、被告人の記憶欠落、追想不可能性から推認される一過性の意識混濁の存在を指摘するけれども、被告人の記憶欠落が主に犯行後、自殺のために、出血の止まりかけていた手首を再度カツターナイフで切つた後の事実に偏つておることからみて、仮に一過性の意識混濁があつたとしても、それは犯行後に生じたものというべく、また、実況見分調書添付の写真等から窺われる如く被告人が相当多量に出血していることから判断すると、これはむしろ失血による影響とみるのが合理的でもあろう。すると、被告人が犯行時、激越発作に見舞われていたとは到底認められない。

3  そうすれば、被告人が犯行時、激越発作により心神喪失の状態にあつたものでないことは明白である。

ついで、右1認定の事実によれば、被告人は本件犯行当時、うつ状態にあつたとはいえ、その程度は比較的軽度であつて、夏子殺害の決意と実行とは、自殺企図に伴い、前認定のとおり平素の人格と無縁でない思考に基き合理的判断による選択の結果為されたものであり、その反応は正常範囲内にとどまつており、行為の是非善悪を判断し、その判断に従つて行動する能力を著しく減弱させてはいなかつたものと十分認められる。

従つて、弁護人の主張はいずれも採用できない。

(量刑の事情)

本件は、比較的軽い自閉症等の障害を有しながらも、一歩一歩着実に成長していた何ら落度のない愛児である被害者を、本来父親として最も庇護しなければならない被告人において殺害したという悲惨な事犯であるところ、被告人は、心神耗弱にまでは至つていないまでも、判示の経緯でうつ状態に陥つており、これが結果的に、被告人が自殺の決意をした下地をなし、ついに本件犯行にまで及んだものであつて、その経過と心情には、斟酌の余地がある。また被告人は会社のために精励恪勤し、その故に、期待されて中間管理職として活躍の場を得、これからというときに、ここまで被告人を押し挙げてきた前記性格特性が正に裏目に出て、本件の仕儀に至つたことには、いわば産業界のすぐれた一戦士の散華に対する如き、多分の同情を禁じ得ない面がある。そして、当然のことながら、一方被告人は、本件犯行後最愛の子を自らあやめたことを深く反省し、被害者の冥福を祈りつつ涙ながらに読経の日々を送つていて、生涯その責苦から逃れられない深手を負い、他方、被害者の母である妻も被告人を宥恕して一日も早い家庭の再建を願いおるとともに、被告人の再就職も元雇傭会社の世話で見込めるなど、社会復帰の条件も一応ととのつているなど、酌むべき事情も存するのでこれらを総合すると、本件結果の重大性を充分考慮しても、被告人を実刑に処するのはしのび難く、社会内処遇により、被害者の菩提を弔わせつつ、新職場と家庭において更生を期するのを相当と思料した。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 池田良兼 古田浩 白井幸夫)

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